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もう少し我慢強く接してみよう。 そう思って、孝平は機嫌を損ねた彼女を見た。 開いた窓から吹き込む風に、長い黒髪が揺れていた。 サイドに流れる髪の片側に赤い紐が結ばれている。 「ふう」 ナイフで切り取ったような薄い口元から、吐息が聞こえた。 物憂げな表情で外を見つめている。 優れた容姿を持つ彼女――紅瀬桐葉がそんな顔をしていると、とても絵になる。 たとえ、エプロンに三角巾姿だったとしても。 「おかず係。お前にこの意味が分かるか」 苛立ちを我慢強く押さえた声が孝平の口から発せられた。 桐葉は興味なさそうに窓の外を見つめている。 「陽菜とへーじがご飯と味噌汁。俺とお前がおかず。分かるか」 孝平はボールの中で微塵切りにされた玉葱と挽き肉を混ぜながら言った。 頬には玉葱のカスがついている。 桐葉は窓の外から視線を外し、目を細めて孝平を見た。 「涙の跡、みっともないわよ」 「仕方ないだろ文句は玉葱に言え」 「押すように切るからよ、包丁を引くようにと言ったのに」 桐葉はやれやれ、と小さく肩を竦めた。 「お前の役目は指摘じゃなくて実践だろ、いいから一品作れ」 「なぜ?」 孝平は一瞬大きく口を開きかけたが、我慢するように声を押し殺した。 「家庭科実習だからだ。分かるか」 「『分かるか』って貴方の新しい口癖?」 「お前がずっと『意味が分からないわ』って顔してるから親切丁寧に付け足してるんだ」 「紳士なのね」 孝平は耐えるように目を閉じた。 ボールの中の肉をかき混ぜる手が激しくなっていた。 「よし、わかった」 孝平は急に笑顔になって頷いた。 「俺が悪かった」 孝平の態度の急変に、桐葉はいぶかしげな表情をする。 「紅瀬は料理なんかしたことないんだよな。だから恥をかきたくないんだろ」 「まさか」 「いや、皆まで言うな。俺がお前の分も作ってやる。だから大人しく待ってろ」 孝平はボールを置くために桐葉に背を向けた。 そのまま、まぜた食材を丸い形に整え始める。 「…………」 桐葉はフライパンをじっと見つめた。 「ふう」 ゆっくりと調理台に向かう。 孝平の隣へと。 「どうした?」 「本当の料理がどういうものかを教えてあげないと、可哀想だと思って」 「誰がだ」 「支倉孝平という名の無知なる生物が」 「まだ俺が遭遇していない料理でも作ってくれんのか?」 「まさか。貴方に教えるのはシンプルで美味しい物を作ること」 桐葉は片手で卵を割り、しなやかな手つきでかき混ぜる。 「手馴れてるな」 驚く孝平の声に、桐葉は小さく鼻を鳴らす。 それが照れ隠しだと孝平は気づかない。 熱したフライパンに溶けたバター。 その上から卵が流れる。 香ばしい匂いと、卵が焼ける音が広がった。 孝平がごくり、と唾を飲んだ。 「うまそうだ」 「少しは理解できたかしら?」 桐葉は仕上げとばかりに調味料を手に取った。 |
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「唐辛子なんか入れるのか」 桐葉は一味唐辛子の蓋を外す。 「隠し味って知ってる?」 「なるほど」 桐葉はなぜか中蓋も外した。 そしてフライパンの上で、上下の向きを逆にする。 中身の全てが自由落下を開始。 「うおおおおおおおおおおっ!?」 一味唐辛子が、卵の中へ吸い込まれていった。 「何してんのお前!?」 「まさか料理の定義から説明しないといけないのかしら?」 桐葉はそう言いながら、二本目の一味唐辛子を投下した。 机に並ぶ歪なハンバーグ。 その隣には真っ赤な物体。 「確かに初めてみる料理だ」 孝平は呟いた。 陽菜と司がじっと孝平を見つめている。 これは一体なんだ、と。 答えようもない。 オムレツよりは溶岩といったほうがまだ表現としては近いと思う。 「どうしたの、遠慮しなくてもいいわ」 桐葉は地獄の灼熱のような色あいのオムレツを箸で摘んだ。 三人の視線を浴びながら、桐葉は灼熱を口に含む。 咀嚼して、ゆっくりと嚥下。 「……ちょっと物足りないかしら」 「足りないっ!?」 桐葉は少し残念そうに頷く。 「意外と大丈夫なのか……?」 孝平は一カケラだけ口に含んでみた。 「……ぁひっ」 孝平の意識はそれから三時間ほど焼失した。 |
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