真夜中の来訪者

安西秀明

また、同じ少女の夢だ。
彼女が動く度に、頭の後ろで一本に束ねた金色の髪が揺れる。
地球の雨に、嬉しそうに濡れる姿。
波に足を取られ、俺にしがみつく感触。
それから、最後に見た涙を堪えた笑顔。

俺は彼女の名前を呼ぶ。
──シンシア。
「私の本音を知って、特別な人になりたかったんでしょ?」
──ああ。
「世界中で、私が本音を言ったのはタツヤだけよ」
──最後まで、恋人として恥ずかしくないようにしよう。
「シンシア・マルグリット。これからターミナルに戻ります」
──だから俺たちは泣かないと決めたんだ。
シンシアの華奢な背中がゆっくりと遠ざかる。
消えていく。
シンシアが、消えていく。
たったの七日間。
何よりも大切な時間。
彼女がくれた幸せな思い出は、彼女がいなくなった今でも色褪せることはない。
彼女は、永遠の別れではないと言った。
人類が彼女のいるターミナルに辿り着くまでのお別れだ。
だから、俺は手を伸ばす。
消えていった彼女の後ろ姿に向かって。
「私がターミナルに戻ったら、タツヤはタツヤの幸せをつかんで」
シンシアはこの手を望んでいるのだろうか。
心に迷いが生まれる。
彼女の本心を知る術は、もうない。

こつり。

小さな音がした。
目を開けると、見慣れた天井が目に入る。

こつり。

もう一度、音がする。
どうやら、窓から聞こえるようだ。
何の音だろう?
布団から出て、肌寒さに少し身震いをする。
目覚めたばかりではっきりとしない頭を振った。
菜月が窓を叩いているのだろうか?
そう思ってカーテンを開ける。
そこには──
誰もいない。

こん、こん。

目の前で、窓が震える。
普通なら驚くところだろうが、俺は懐かしさを覚えて思わず微笑んだ。
鍵を外し、窓を開く。
部屋に、見えない誰かが入ってくる気配を感じる。
「お久しぶりですね、フィアッカさん」
虚空に向かって、声をかけた。
独特の機械音と共に、小柄な少女が現れる。
エメラルドではなく紅い瞳。
リースと体を共有する人物だ。
「こんな夜更けに、すまない」
「構いませんよ。エステルさんが寝てから、抜け出したんでしょう」
「……まあ、そんなところだ」
フィアッカさんは曖昧に頷くと、じっと俺を見つめた。
俺の心を見透かすような目だ。
部屋を静寂が支配する。
「あの時以来、ですよね」
シンシアが去ってから、フィアッカさんに会うのはこれが初めてだ。
「もう会うことはない、と言ったのにな」
「なにか緊急の用件ですか?」
「そういうわけではないんだ。ただ……」
フィアッカさんは、どう切り出したらいいか迷っているようだ。
何だろうか?
暫くして、フィアッカさんの唇が開かれる。
「最近どうだ?」
世間話をしに来たのか……?
「ボチボチです」
「……もう少し、詳しく教えてくれ」
「最近は、特に変わったことはありません。進学するために勉強に追われているくらいです」
「それは大変だな」
あまり興味の無さそうな相づちだった。
「別に大変というわけではないです。こんなところで躓いてたら、シンシアに会わせる顔がありませんし」
「……進学とシアが関係しているのか?」
フィアッカさんが、探るように俺の目を見た。
「俺は、科学者になることにしたんです」
「……シアの言葉を、真に受けたのか」
──空間跳躍技術を完成したら、また会える。
「そうです」
「だが、あれは──」
「わかっています。シンシアは、本気で言ったわけじゃないでしょう。空間跳躍技術だって、俺が死ぬまでに完成しないかもしれません」
「その通りだ。完成しない技術に、一生を捧げる気か?」
「はい」
迷わずにうなずく。
それはもう、決めたことだ。

「シアが、お前に忘れて欲しいと願っていたとしてもか」
「はい」
「身勝手だな」
辛辣な言葉が返ってくる。
フィアッカさんの言う通りかも知れない。
シンシアは、俺の行動を知ったらどう思うだろう?
馬鹿だと思うのか。
嬉しいと思ってくれるのか。
それとも悲しむのか。
わからない。
それでも、一つだけわかっていることがある。
「俺は、死ぬまでシンシアのことは忘れないでしょう」
フィアッカさんは無表情だ。
「忘れようとしても、忘れられないんです。あれからずっとシンシアの夢を見るんですよ」
夢の中とはいえ、彼女に会えるのは嬉しいことだった。
懐かしさに、思わず顔がほころんでしまうくらいに。
今もシンシアは、俺の心を掴んで離さない。
「俺が科学者になることなんて、彼女は望んでいないかもしれません。フィアッカさんの言うように、忘れて欲しいと思っているのかも」
シンシアがいなくなってからずっと考えていたことを、噛み締めるように口にする。
「それでも、俺は少しでも早くシンシアが使命から救われるように、生きていたいんです」
「……その気持ちは、時間が経てば変わるのではないか?」
「変わりませんよ」
「どうして言い切れる?」
「自分の気持ちは、自分でわかります。こう見えても一度決めたら突っ走るタイプなんですよ」
「知っている」
フィアッカさんは、呆れたように言った。
納得したかのように、俺に小さくうなずく。
「そこまで決めているのなら、何も言うまい」
俺に向かって微笑む。
意味がよくわからなかった。
「シアと別れた時のことを覚えているか?」
「もちろんです」
「あの時、シアに山百合を渡しただろう」
「はい」
「達哉が山百合を取りに行ったあの時、私はシンシアにある事を頼まれたんだ」
「え?」

──もしもしばらくして、
達哉が私のことを忘れていなくて、
まだずっと想っていてくれていて、
まったく諦めていないようなバカな真似をしているのなら、
これを、渡して──

フィアッカさんの小さな手から、俺の手に小さな装飾品が渡される。
「それはシアが身につけていた物だ」
「シンシアの……」
「あいつは何も持っていなかったからな。これが精一杯だったんだろう」
俺が山百合を必死に探したように、シンシアはこれをフィアッカさんに預けたのか。
胸に熱いものが、じんわりと込みあげてくる。
「シアはお前が考えたのと同じように、別れの品を渡そうと考えた。しかし、もしも達哉がシアのことを忘れることができるのなら、別れの品など無いほうがいい」
「俺が思い出してしまうから、ですか」
「そういうことだ。だから、達哉の気持ちを確認する必要があった。お前がシンシアの言うところのバカな真似をしていなければ、渡さなかった」
「そう、ですか……」
小さな蒼色の装飾品を見つめる。
シンシアが、俺に忘れて欲しいと思っていたのは本当だろう。
それは、彼女が理性的に俺のことを考えてくれたこと。
「……よかった」
思わず、言葉にしていた。
「何がだ」
「……許されたような気がするんです」
「許す?」
「だって、シンシアは俺が想い続けた場合のことを想定していたんでしょう?」
「ああ」
「心の底から忘れて欲しいと思っているのなら、こんなことはしないと思いますから」
「ずいぶん前向きだな」
「フィアッカさんが、もしシンシアの立場だったら、どう思いますか?」
「私はシアではない。私の意見は何の参考にもならんよ。ただ……」
「なんですか?」
「姉として、シアの恋人がお前でよかったと思っている」
「最高の賛辞ですね」
「ああ。誇っていい」
冗談っぽくそう言うと、ゆっくりと窓に向かう。
今度こそ、フィアッカさんに会うのはこれで最後になるのかもしれない。
「ああ、そうだ……シアの言っていた『しばらくしたら』という期間についてだが」
フィアッカさんは、振り返らずに言う。
「シアならば、今日を選ぶのではないかと思ったんだ」
「どうして、ですか?」
俺は小柄な背中に向かって訊ねた。
「恋人の誕生日に、プレゼントくらい渡したいだろうと思ってな」
最後に、そう言い残して──
機械音と共に、フィアッカさんの姿が消える。
時計は十二時を回っていた。
そうか、俺の誕生日になったのか。
フィアッカさんがわざわざこの時間に来たのはそのためだったのだ。
「……ありがとうございます」
手の中に残った、シンシアからのプレゼントを見つめる。
どれだけ月日が流れても。
例え俺の体が朽ち果ててしまったとしても。
いつか必ず、シンシアのもとに辿り着いてみせる。
そう、心に決めたのだった。

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