ラスト・ステップ

安西秀明

麻衣さんの奏でるフルートの音色。
仁さんが足でリズムを取る音。
菜月さんの声援が、トラットリア左門に響く。

――そして、ステップの音が聞こえる。

音楽に乗せて軽快に刻まれる、姫さまの足音。
ぎこちないリズムを刻む、達哉さんの足音。
月の王宮でのパーティーで踊られる代表的なダンス。
姫さまは本当に優雅だ。
思わず見とれてしまう。
達哉さんは姫さまについていくのが精一杯みたいだった。
それでも、すごいと思う。
わたしにはとても踊れない。
「ほら達哉、しっかりー!」
「そんなこと、言ったって、難しい、んだぞ」
達哉さんは踊りながら答えた。
「達哉君、そういう時は男性がリードするのだよ」
「なら、仁さんが、代わって、下さい、よっ」
「代わってしまっていいのかな?」
「……いや」
「んー?」
「……踊り、ます」
「ははは、そうしたまえ」
「ふふふ」
隣で、さやかさんが口を押さえながら笑った。

――皆さん、楽しそうだ。
まるで陽気なお祭りにきたみたい。
歓迎パーティーもこんな感じだったと思う。
あの時も、姫さまとわたしをとても明るく迎えてくださった。
壁に掛かった大きな紙を見る。

『フィーナさん&ミアちゃん、さよならパーティー』

お別れのパーティー。
でも、どうしてこんなに明るく振舞えるのだろう。
明るければ明るいだけ、寂しい気持ちになってしまう。

音楽が、止んだ。
拍手がおこる。
姫さまがスカートを抓んで一礼した。
達哉さんが肩で息をしていた。
「達哉、へた」
「ははは、リースちゃんは容赦ないな」
「お兄ちゃんも頑張った……と思うよ?」
達哉さんは答えられない。
息を整えるのに必死みたいだった。
「次はミアちゃんの番だな」
左門さんが笑顔でわたしに言う。
どきん、と心臓が悲鳴を上げた。
「は、はい」
慌てて立ち上がって、今まで姫さまたちが踊っていた場所へ小走りで向かう。
「頑張ってね」
すれ違う時に姫さまが声をかけてくださった。
「レディースアンドジェントルメーンッ、次はミアちゃんによる月の歌だ!」
仁さんの紹介でさらに緊張してしまう。
「で、では歌います」
月の歌。
母さまがよくわたしに歌ってくれた歌だ。
「――とおくはなれた、ふるさとの――♪」
とても懐かしい月の世界。
もうすぐわたしは帰るんだ。

『フィーナさん&ミアちゃん、さよならパーティー』

書かれた文字が目に入った。
お別れ。
突然、目頭が熱くなる。
涙が溢れるのを止められない。
「――おもい、で、に、うう、ぅ……」
それ以上、歌うことができなかった。


枕には、わたしの涙の染みができていた。
ベッドに座ったまま、部屋を見渡す。
住み慣れた部屋。
木の匂いのする屋根裏。
もうこの場所に戻ることもないのかな。
自分の物のように使っていた枕をぎゅっと抱きしめる。
「……最後、だったのに」
お祭りみたいに楽しんでいたのに。
わたしが雰囲気を悪くしてしまった。
あの時、姫さまが続きを一緒に歌ってくださった。
優しい姫さまや皆さまに――
「また、わたしはご迷惑、を……」
枕の染みが広がっていく。
明日には、わたしはこの部屋にいない。
最後のお別れの時。
どんな顔をすればいいのかな。
皆さまに心配をおかけしてはいけないと思う。
だから。
笑顔でいよう。
そう思った。


『月―地球往還船、出航準備に入ります』

機械の音みたいなアナウンスが往還船の中に響く。
どうしても皆さんの顔をまともに見ることができなかった。
姫さまがお別れの挨拶をされている時も、黙ったままだった。
涙が溢れないようにするのに精一杯だったから。
今窓の外を見れば、お世話になった人たちが見えるだろう。
きっと笑顔で見送ってくれている。
挨拶をしなくてはいけない。
お礼の気持ちを伝えないといけない。
そう思っているのに。
どうしても、顔を上げることができない。
往還船のシートを見つめる。
この星に来た時と同じ座り心地。
あの時は『なんてふわふわな椅子なんだろう』と感心してしまった。
そっとシートの端に触れる。
指先で縫い目をなぞった。
「……ミア」
透き通るような姫さまの声。
びくり、と指先が止まる。
「皆様にきちんとご挨拶なさい」
優しく諭すように仰った。
「……はい」
それでも顔を上げることができない。
そんなわたしに、姫さまは優しい笑顔で言った。
「最後のお別れなのよ」
――最後のお別れ。
体が熱くなった。
ずっと我慢していた気持ちが押さえきれない。
口から言葉が溢れ出てしまう。
「……わたしは」
自分の声じゃないみたいに震えていた。
頭も体も手も足も、熱い。
「麻衣さんと、もっとお料理したかったです……」
頬に熱い物が流れる。

「さやかさんにお弁当を作りたかった」
手の甲に涙がぽたぽたとこぼれ落ちる。
「達哉さんともう一度、散歩に行きたかったっ」
勝手に溢れてしまう。
「もっと、皆さんと……一緒に、いたかった……ですっ」
「……そうね」
姫さまにこんなことを言うのは筋違いなのに。
わかっているのに止まらない。
胸の奥が痛い。
「なんで、皆さん、笑顔、なん……ですか」
今まで一緒にいた時間が――
地球での思い出が――
頭の中をぐるぐると回り続けて。
「どうしても、お顔、見れ、なく……」
嗚咽で言葉にならない。
スカートをぎゅっと握った自分の手が、涙でぼやけて見える。
肩の震えが止まらない。
後から後から涙が溢れてくる。
びしょびしょになった手の上に、姫さまの手が重ねられた。
姫さまの手が汚れてしまうと思った。
思わず引こうとした手を、姫さまがぎゅっと握る。
「ねえ、ミア」
姫さまの優しく落ち着いた声。
「ミアは地球に来てよかったと思える?」
小さく肯く。
「私もよ」
姫さまは微笑む。
どうしてそんな表情ができるんだろう。
「本当に毎日が楽しかったわ」
幸せそうな笑顔。
「それは、なぜかしら?」
「……皆さんが、いてくれたから、だと思います」
わたしたちを家族として迎えてくれた人たち。
姫さまが肯く。
「私は地球での生活を決して忘れないわ」
「わたしも、です」
「さやかや達哉たちに出逢ったこと、は……」
姫さまの言葉が、何故か途切れる。
「別々になっても絶対に消えないわ。だから」
わたしの手に重ねられた手から、震えが伝わる。
「今は、楽しく過ごした日々のお礼をしなくては」
姫さまは、自分に言い聞かせるように言った。
――泣きたいのは姫さまも同じなんだ。
わたしと同じように胸が痛いのに。
姫さまは我慢している。
もしかして、皆さんも我慢してたのかな。
わたしは顔を上げた。
たぶん涙でぐじゅぐじゅになっている顔を。
窓の外を見る。
皆さんが手を振っているのが見えた。
笑いながら――
涙を流してくれていた。
姫さまとわたしがいなくなることを悲しんでくれていた。

――出逢ったことは消えないから。

出逢えてよかった。
わたしの頬にまた涙が流れる。
でも、そんなことは構わなかった。

――楽しく過ごした日々のお礼をしよう。

わたしは精一杯微笑んだ。
泣きながら微笑んだ。
家族にしてくれて、ありがとうございました。
声は届かないけれど。
想いはきっと届くと思う。
姫さまと二人で、手を振った。

――わたしは決して忘れません。
――この瑠璃色の星であった人たちのことを。

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