暖かい雪

安西秀明

わたしはお兄ちゃんの部屋の扉をとんとん、とノックした。
「ん、麻衣か? どうぞ」
お兄ちゃんはわたしを部屋に招き入れて、急いで扉を閉める。
「ちょっと開けただけで、部屋が寒くなっちゃうよな」
「まだ12月なのにね」
今年は寒波が頑張ってるみたいで、いつもより寒い日が多い。
だからわたしは、お兄ちゃんの誕生日に手編みの手袋をあげた。
恋人になってから初めてのプレゼント──
それが、かわいい雑貨みたいに飾られているのは目の錯覚?
「……えっと、お兄ちゃん。わたしのプレゼント」
「結構気に入ってるよ。ありがとな、麻衣」
わしゃわしゃと頭を撫でてくれる。
気に入ってるからってあんな風に飾らなくてもいいのに。
手袋なんだから、ちゃんと使ってほしいなぁ。
「かわいいよな。あの兎のぬいぐるみ」
「はい……?」
今なんて言いましたか、お兄ちゃん?
「……兎のぬいぐるみ?」
「あの二匹、仲がよさそうでいいよな」
にこやかに言うお兄ちゃんに、わたしは相槌をうつのが精一杯だった。

逃げるように部屋に戻ったわたしは、ぱたりとベットに倒れた。
「確かに、ちょっと変わった形になっちゃってたけど……」
でも兎はあんまりじゃないかなー、なんて思う。
編んでいる途中で鼻歌を歌っちゃったのがまずかったのかなぁ。
「もう一度、ちゃんとしたの編んであげたいけど」
でも、なんて言って渡せばいいのかな。
誕生日に渡したやつは失敗でしたって言うのはやだし……。
急に渡しても変に思われそうだし。
壁のカレンダーをぼうっと眺める。
「あ……」
目に飛び込んだのは、クリスマスの赤い文字。
わたしはベットの上でぴょん、と跳ねた。
「これはもしかしてチャンスかも」
恋人がクリスマスイブに手編みの物をあげる。
これなら、さりげなくもう一度プレゼントできるよね。
「よし、やるぞっ」
小さくガッツポーズをとった。
今度は兎だなんて言わせないからね、お兄ちゃん。
枕元にあった編み物の本を手に取って、ぱらぱらとめくっていく。
せっかくだから手袋じゃないのがいいかな。
でも、マフラーはお兄ちゃんあんまり使わないし。
「セーターとか……」
お兄ちゃんが着てるところを想像してみた。
うん、とっても似合いそうだ。
それでぎゅってされたらとっても暖かそうだし。
ちょっと緩んでしまった自分の顔を両手でぴたぴたと叩く。
本に載っている完成までの日数とカレンダーを見比べる。
順調にいってギリギリ?
「急がないと、ね」
残っていた毛糸と編み物セットを取り出した。
「継ぎ足しの毛糸は、明日買うことにして」

とんとん

「麻衣、入るぞ?」
「わ、わー!」
お兄ちゃんが扉を開けようとしてる。
わたしは慌てて編み物セットをひっくり返しながら、開きかけた扉をなんとか閉めた。
「ご、ごめん。今まずかったか?」
扉越しにお兄ちゃんの声が聞こえる。
「う、うん。ちょっとだけ」
ほんとはちょっとどころじゃないよ。
編んでるところなんか見られたら台無しになっちゃう。
やっぱり、プレゼントは内緒にしておかないとね。
「え、えっと……どうしたの?」
扉を閉めたまま聞いた。
「いや、なんかさっき麻衣が怒ってるみたいだったから」
「え。そんなことないよー?」
ショックで呆然としてたけれど、怒ってなんかなかったと思う。
「……そっか、それならいいんだけどさ」
お兄ちゃんはそう言うと、自分の部屋に戻っていった。


編み物をしながら、気がつくとこくこくと頭が揺れている。
ここまで数日かけてわかったこと。
それは、本に載っていた必要時間というのは慣れている人がかかる時間ということだ。
眠る時間を削らないと、もう間に合わない。
「ふぁ~……」

落ちそうになる目蓋を頑張って上げながら、棒針を操って一編みずつ編んでいく。
なんとか半分以上はできたけど、予定までにちゃんと間に合うかな……。

とんとん

「ふぁ!?」
扉の音に、編みかけのセーターを置いて、急いで扉を押さえに行く。

がたんっ

「いたた……」
慌ててイスにぶつかってしまった。
「大丈夫か?」
扉越しに、お兄ちゃんが心配してくれる。
「う、うん、平気。それで、どうしたの? 用事?」
「ほら、最近麻衣はずっと部屋にこもりっぱなしだろ。たまには二人で出かけないか?」
「えっと、いつ?」
「これからとか、どうかな?」
編みかけのセーターを見つめた。
「今日は無理かも……」
クリスマスイブまであと3日しかないし、遊びに行ったら間に合わなくなっちゃう。
「……麻衣、ごめんな」
謝るのはわたしの方なのに、何でお兄ちゃんが謝るんだろう。
「ずっと俺が忙しくて、どこにも行けなかったもんな。だから怒ってるんだろ?」
「ううん、怒ってなんかないよ」
「24日にさ、二人で一緒に出かけないか?」
その日には編み物もきっと終わってる、と思うけど……。
「……でも、お姉ちゃんは?」
「仕事で忙しいって言ってた。だから、どうかな?」
「うんっ!」
思わず嬉しそうな声が出てしまう。
わたしの返事に、お兄ちゃんが安堵したように言った。
「じゃあ、24日の昼頃に一緒に出かけよう」


約束の日の夕方に、わたしの部屋の扉が再びノックされた。
今日何度目かのノック。
「もう少しだけだから、ごめんね。お兄ちゃん……」
目を擦りながらドアの向こうにそう答える。

「わかった。リビングにいるよ」
お兄ちゃんの足音が遠ざかっていく。
もう少しなのに、全然終わってくれない。
ずっと寝てなくて、ふらふらする。
目はとっくに霞んでしまっているけど。
恋人になった人に、どうしても今日着てもらいたいから。
もう少しだけ待ってね、と心の中で繰り返した。

セーターが出来上がった時には、お兄ちゃんはソファにもたれたまま眠ってしまっていた。
わたしはお兄ちゃんの隣にセーターを持ったままぽふっと座る。
長い間待たせちゃったよね。
お兄ちゃんの寝顔を見つめて、申し訳ない気持ちになった。
「……ん、んあ? 麻衣……?」
わたしが隣に座ったのに気がついたのかな。
お兄ちゃんがゆっくりと目を覚ます。
「これ、何に見えるかな?」

わたしが目の前に広げた物をじっと見つめた。
大きな兎って言われたらどうしよう?
わたしはどきどきしながらお兄ちゃんの答えを待った。
「綺麗で、暖かそうなセーターだな……」
お兄ちゃんの言葉が嬉しくて、思わず抱きつきそうになる。
「……着てみてほしいな」
お兄ちゃんは頷くと、セーターに袖を通していく。
とっても似合っていた。
「どうしたんだ? これ」
「お兄ちゃんのために、編んだんだよ」
「もしかして部屋にこもってる間、ずっと?」
「うん。心配かけちゃったよね。ごめんね」
ちゃんとセーターを渡せてよかった。
そう思ったら、なんだか体がふらふらと揺れた。
隣に座るお兄ちゃんの肩におでこをそっとのせる。
「大丈夫か、疲れてるんじゃないか?」
柔らかいセーターの感触がおでこから伝わってくる。
気持ちよくて、甘えるようにお兄ちゃんの胸に顔をうずめてしまう。
「どうして、そんなになるまで頑張ったんだ?」
どうしてだろう?
手袋が兎と間違えられて、でももうそれはどうでもよくて。
たぶん、わたしはね……
「お兄ちゃんのサンタさんになりたかったんだよ」
うずめていた顔をちょっと上げて、そう言った。
サンタさんになってお兄ちゃんの笑顔が見たかった。
大好きな人の笑顔が見たかった。
それだけなんだと思う。
「ありがとう、麻衣」
微笑んでくれるお兄ちゃんの顔を見て、少し泣きそうになる。
わたしの頭をそっと撫でてくれる。
気持ちよくて、そのまま眠ってしまいそうだったけど――
「……ねえ、二人で出かけたいな」
セーターを着たお兄ちゃんと二人で歩いてみたかった。


外はもう真っ暗だった。
一歩踏み出すごとに、足の裏で雪が鳴る。
「ずいぶん雪が積もってるな」
お兄ちゃんの吐く息が白い。
いつもと違う、白くて暗い誰もいない街。
お兄ちゃんの腕にしがみつきながら、ゆっくりと歩く。
雪は、もう降るのを止めてしまっていた。
わたしがもっと早く編み終わっていたら、雪の降る中でお兄ちゃんとデートできたのかな。
「……ごめんね」
小さく呟く。
歩いてると、なんだか頭がぼーっとしてくる。
勝手に目が閉じようとするのを、必死に堪える。
ぼんやりと、赤い雪がみえた。
信号機の赤い光に、積もった雪が染まってるんだ。
お兄ちゃんが信号を見て足を止めた。
しがみついているわたしも、自然と止まる。
お兄ちゃんの腕が、暖かいな。
そう思って目を閉じた。
意識がゆらゆらと遠のいていく。
気持ちよくて、暗い世界。
首がなんだかくすぐったい。
「……しょうがないな」
お兄ちゃんの声が聞こえた気がする。
体が持ち上げられるような感覚。
おんぶしてくれてるのかなぁ。
おぼろげに、そう思う。
お兄ちゃんの背中が暖かい。
「……暖かいね、お兄ちゃん」
麻衣がくれたセーターが暖かいんだよ。
照れたようにそう言う声が聞こえた気がする。
首がずっとくすぐったいままだ。
なんでだろう。
首に手を当てると、紐のようなものに触れる。
少しだけ目蓋を上げると、見慣れないペンダントがわたしの首にかかっていた。
お兄ちゃんが雪を踏むたびに、手の中で揺れている。
とってもかわいいペンダントだ。
お兄ちゃんがかけてくれたのかな?
「……くれたの?」
眠くてそれだけ言うのが精一杯なわたしに、お兄ちゃんは少し笑いながら言った。
「あげたよ」
お礼の代わりに、お兄ちゃんにぎゅっとしがみつく。
ふわふわしてて暖かい。
「誕生日は、プレゼントあげられなくてごめんな」
ぽつりとお兄ちゃんが言う。
「……ううん、気にしてないよ」
そう、わたしは気にしてなんていない。
だって……今こうしていられるだけで、本当に嬉しいから。
「麻衣、見えるか?」
お兄ちゃんの言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
白い雪が、真っ暗な空から舞い落ちていた。
まるで羽みたいだ。
「……雪なのに、なんだか暖かいね」
お兄ちゃんのぬくもりを感じながら、わたしは目を閉じた。

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