SPECIAL STORY

第1話『開店準備中!』

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冥王と《アイリス》が中心となって企画される、夏の大規模フェス──
その第3回となるマリンフェスでは、アンジェリークが企画責任者を務めることとなった。
開催地は彼女が治める帝国自治領だ。

本番前日の帝国自治領、その大通りの一画に『樹理学園(アカデミー)の出張学生食堂』という看板が立てられた建物がある。
中では店主兼コックのソフィと接客担当のアシュリーとコトが、翌日のオープンに向けて準備を進めていた。
「アシュリー、食器は全部棚にしまったよー。次は何すればいい?」
「届いたメニュー表を綺麗に拭きましょう」
「うえ……何冊あると思ってるの。ページ数も結構あるし。新品でしょ? 絶対やらなきゃ駄目?」
「当然です。万が一汚れがあれば、お客様が食事前から気分を害してしまいます」
「アシュリーは真面目だなぁ」
しばらく2人が作業していると、からんからんと入口のベルが鳴った。
入ってきたのはフェスの企画責任者のアンジェリークだ。
「こんにちは。お邪魔するわね」
「あれ? どうしたの?」
「店舗の安全点検よ。あと、何か困っていることがあれば相談に乗ろうと思って」
アンジェリークの声を聞きつけ、ソフィも厨房から顔を出した。
「点検でしたら、厨房を開けますね。コト様とアシュリー様も、一度休憩しませんか?」
「やっと休めるー。朝から働きっぱなしで疲れたよ」
コトはぐぐっと伸びをしてから、テーブルに突っ伏した。
「ふふっ。点検が終わったらお茶と食事を用意いたしましょう。アンジェリーク様もご一緒にいかがですか?」
「そうね。あまりゆっくりはできないけど、お言葉に甘えようかしら」

15分後、オープン前の静かな店内で、コト、アシュリー、ソフィ、アンジェリークの4人がテーブルを囲んだ。
テーブルの上には紅茶とサンドウィッチが1セットずつ置かれている。
アンジェリークはそれぞれ一口ずつ味わうと、心地よさそうに息をつく。
「とても美味しい……さすがね、ソフィ。食事しているだけで疲れが飛んでいく」
「あり合わせの食材で作ったのですが、満足していただけたようで幸いでございます」
「ありがとう……あ、そうだ。みんな、準備で困っていることはない?」
「今のところは特に。近所の店も上手くやっているようです」
「順調ね。よかった」
アシュリーの答えに、アンジェリークが胸を撫で下ろす。
「それにしても、アンジェリークはよく働くねー。マリンフェスの企画と街の復興を同時にやって、明日は競技にもがっつり出るんでしょ? ええっと、なんだっけ……水の上でやるしっぽ取り」
「オーシャンテイルね」
思い出せないコトに、アンジェリークがすかさず答えた。
「そうそれ。練習を覗いた感じ、結構ハードっぽいじゃん。明日に影響出るし、今日は根詰めない方がいいんじゃない?」
「確かに。マリンフェスの開催が決まってから、アンジェリークはほとんど休んでいないように見えます」
アシュリーがコトに同調し、ソフィも心配そうな表情でアンジェリークを見た。
「心配してくれてありがとう。だけど私は大丈夫。マリンフェスの成功は、帝国再興という夢への第一歩だもの。領主としての初めての大仕事を失敗できないし、今が踏ん張りどころなの。あと2日、最後まで走り切るわ」
アンジェリークが力強く言い切る。
しかしすぐに、穏やかな微笑みを浮かべた。
「それに、毎日目が回るくらい忙しいけれど、その分充実していて楽しいから」
「忙しいのが楽しい、か。アンジェリークはすごいや」
「では悔いの残らぬよう、思う存分やり切ってください」
コトとアシュリーから褒められ、アンジェリークは照れくさそうに笑う。
「そういえば、アンジェリークは困ってることないの? 逆に手伝うけど」
コトが尋ねた。
「実は今日到着するはずのキャラバンが遅れていて、物資の入荷が遅れているの。この後すぐ調査に向かうつもりよ」
「ふーん」
普段通りの力の抜けた声で相槌を打ちつつも、アンジェリークを見るコトの目には真剣な色が宿っている。
「あの、どうかした? あまりじっと見られると照れるのだけど……」
「いや、なんでもないよ。それよりキャラバンの調査だけど、ワタシがやろっか?」
「そんな……あなたには出張学生食堂(ここ)の準備があるでしょう?」
コトの提案に、アンジェリークは遠慮がちに返す。
すると話を聞いていたソフィが柔らかく笑った。
「フロアの準備は大方済んでいるようですし、問題ないかと」
「じゃあ、お願いしようかしら。コト、よろしくお願い」
「オッケー。任せといて」
コトがぐっと伸びをしながら言うと、アシュリーがスッと片手を上げた。
「私も同行しましょう。サポートしますよ」
「やった。じゃあアシュリーに任せて楽しよっと」
「やる気があるのかないのか、どっちなのよ……とにかく、2人ともありがとう。よろしくね」
アシュリーとコトのやり取りに苦笑しつつ、アンジェリークはキャラバンの調査を2人に依頼した。

アンジェリークが店を出て姿が見えなくなるまでの間、コトはじっと彼女を目で追っていた。
「アンジェリークを気にかけているようですが、どうかしましたか?」
普段とは少し異なる態度のコトに疑問を覚え、アシュリーが声をかけた。
「いや、別になんでもない。ちょっと思うところがあっただけ」
「思うところ、ですか」
「大したことじゃないよ。後で話したげる」
ふう、と一度大きく息を吐いてから、コトは立ち上がった。
「それより早く調査に向かわないと。キャラバンが遅れてるんでしょ」
「ですね。ではソフィ、しばらく店を空けます」
コトに続いて立ち上がったアシュリーが、ソフィに言った。
「はい。お気をつけて。お店のことはお任せを」
コトとアシュリーはソフィに頷いてから、店を出た。

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