放課後、いつものように部室に向かっていると、その先からくしゃみの音が聞こえてきた。
「くしゅん」
部屋に入らなくとも分かる。桜庭だ。普段の彼女からは想像もつかないような可愛い音。
この時期、そろそろ花粉の飛散も収束しているだろうに、まだくしゃみが出るときがあるらしい。
扉を開けて部屋に入ると、予想通り桜庭がいた。まだ一人のようだ。
筧「おす」
桜庭「筧か……くしゅんっ」
筧「まだ出るのか。大変だな」
桜庭「もうそろそろ終わる時期のはずなんだが……くしゅ」
筧「ほら」
部室に常備(というか桜庭が次々と持ってきては次々と自分で消費している)の箱ティッシュを箱ごと渡す。
桜庭「す、すまない」
わたわたと受け取り、鼻をかむ。
筧「大教室での授業中も、もうあまり花粉症っぽいくしゃみは聞かなくなってきたけどな……ん?」
部室の奥には、一応図書部らしく本棚が並んでいる。使っているのは俺と鈴木くらいだが、今日は、棚の本が移動された形跡がある。
筧「本棚、いじったか?」
桜庭「ああ。同じ文庫のものがバラバラに置いてあったり、シリーズものがあちこちに置いてあったりしたんでな。少し揃えてみた」
筧「んー……なるほど」
桜庭「迷惑だったか?」
筧「いや、気持ちは分からないでもないが」
確かに俺は本棚の整理にはあまり気を遣わない方だ。いや、これまで皆に指摘されたところによると、相当無神経な方らしい。
だが、一つだけ俺の中でのルールがあって、それは厳格に守られていた。
もう読んだ本と、まだ読んでない本に分けて置いておくことだ。
筧「ただ……読んだ本と呼んでない本が混ざってしまっている」
桜庭「あれで分けてたのか!?」
筧「一応な」
桜庭「それは、申し訳な……くしゅんっ……申しわ……くしゅっ」
筧「落ち着いてからでいいぞ」
桜庭「すまな……くしゅん!」
ひどい状態だ。
よく見ると、目も赤くなって涙ぐんだようになっている。
筧「そのくしゃみ、ホコリのせいもあるんじゃないか?」
桜庭「そうかも……ぜえぜえ……しれない……な」
息も絶え絶えだ。
桜庭「……だがな、筧。いくらほとんど筧しか使っていないとは言え、私は本棚が混沌とした状態になっているのはあまり気持ちよくない」
筧「桜庭はそうだろうと思ってた」
桜庭「本が逆さまになってたり、背表紙が奥に入っていてタイトルが分からなかったりするとむずむずしないか?」
筧「それは俺にはあまり重要なことじゃない。本は読んだか読んでないかだけだ」
桜庭「筧はそれでいいかもしれないが……くしゅっ」
筧「言おう言おうと思ってたんだが、桜庭のくしゃみの音って、なんというか……可愛いよな」
桜庭「んなっ!?」
筧「普段の物言いとギャップがあって面白い」
桜庭「こっちはこれでも大変なんだぞ……くしゅん……馬鹿なことを言うな……くしゅっ!」
ぜえぜえ言ってる桜庭が、息を整えるまで少し待つ。
筧「しかし、そんなにひどいならマスクをつけた方がいいんじゃないか」
桜庭「部室の中だと思って油断してたのもあるが……もう正直、どうにでもなれという気分だ」
そう言いつつも、一応彼女は鞄から取りだしたマスクをつけた。
声が少しくぐもる。
桜庭「あと、もう筧の前では絶対にくしゃみはしない。からかわれるからな」
筧「からかったつもりは無いんだが」
桜庭「それでもだ」
かすかに怒気のようなものを含んだ返事。まあ、くしゃみは生理現象なので、抑えられるものなら頑張ってみてほしい。
筧「だが、それとこれとは話が別だ。
本棚は勝手に整理しないでほしい」
桜庭「未読の本と既読の本を混ぜる結果になってしまったことについては謝ろう。すまなかった。……だが、そっちには歩み寄りの意思は微塵もないのか?」
筧「む……」
桜庭は頭が切れる。
図書部に俺一人しかいなかった頃から、ずっとこの本棚はこの使い方だ。
しかしそういう言い方をされると、こちらも譲歩しなくてはいけない気にさせられる。
やれやれ。
筧「わかった。上下と前後は揃えて置くことを約束する。ただ、シリーズものを揃えたり出版社別に並べるのは勘弁してくれ」
桜庭「……すまないな、こっちの好みを押し付けてしまって」
筧「いや、きっと俺の方が間違ってるんだからいいんだ」
桜庭「そう自虐的にならないでくれ」
申し訳なさそうな顔の桜庭。
桜庭「でも白崎も『筧くん、あれでどの本を読んだかわかるのかな』って心配してたぞ」
筧「やっぱり白崎か」
ふふ、と笑いが漏れる。
図書部は、何かにつけ白崎の言葉から動くことが多い。特に桜庭は。
桜庭「笑うようなことじゃ……は……ふ……ぅ……くしゅんっ!!」
筧「もう可愛いくしゃみはしないんじゃなかったか?」
桜庭「うるさいっ」
──ちなみに、この後部室にやってきた読書仲間の鈴木は、本棚が整理されたことを喜んでいた。
やっぱり俺の方がずれてるようだ。
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